この記事では手漉和紙の人間国宝5人についてご紹介します。
人間国宝とは、「日本の伝統的な芸能や工芸において、無形の文化的所産で、歴史上または芸術的価値が高い技術を保持する人」です。
長い和紙の歴史の中で、人間国宝は5人しか誕生しておりません。
その5名をご紹介したいと思います。
安部榮四郎(あべえいしろう)
1968年人間国宝認定
1902.1.14~1984.12.18
島根県八雲町に生まれました。
実家が紙漉きをしており、幼い頃から紙の製造に携わっておりましたが、島根県工業試験場などに通うなどして、紙の研究に邁進しました。
1931年、出雲地方に自生する雁皮(がんぴ)で光沢のある力強い雁皮紙(がんぴし)を漉き、柳宗悦(やなぎむねよし)に推賞されました。
雁皮紙(がんぴし)を中心に出雲民藝紙(いずもみんげいし)を創出しました。
実家が紙漉きをしており、幼い頃から紙の製造に携わっておりましたが、島根県工業試験場などに通うなどして、紙の研究に邁進しました。
1931年、出雲地方に自生する雁皮(がんぴ)で光沢のある力強い雁皮紙(がんぴし)を漉き、柳宗悦(やなぎむねよし)に推賞されました。
雁皮紙(がんぴし)を中心に出雲民藝紙(いずもみんげいし)を創出しました。
濱田幸雄(はまださぢお)
2001年人間国宝認定 1931.2.17~
父・秋吾より、伝統的な土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)の制作技法を学び、1949年に独立しました。
土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)は、別名「カゲロウの羽」と称されるほど薄く美しい紙で、楮(こうぞ)の繊維を素早く漉いて強く絡み合わせるため、水に濡らしても破けない強度を誇ります。
土佐典具帖紙(とさてんぐじょうし)は、別名「カゲロウの羽」と称されるほど薄く美しい紙で、楮(こうぞ)の繊維を素早く漉いて強く絡み合わせるため、水に濡らしても破けない強度を誇ります。
八代目岩野市兵衛(はちだいめいわのいちべえ)
1968年人間国宝認定 1901.9.14~1976.10.7
代々越前奉書(えちぜんほうしょ)漉いてきた家に生まれ、早くから父の下で楮紙(こうぞかみ)を漉いていました。
東京の木版画家・吉田博らと浮世絵木版画を研究し、数百回の刷りに耐える強靭で見事な地合の奉書紙を完成させました。1941年に8代目を襲名しました。
東京の木版画家・吉田博らと浮世絵木版画を研究し、数百回の刷りに耐える強靭で見事な地合の奉書紙を完成させました。1941年に8代目を襲名しました。
九代目岩野市兵衛(きゅうだいめいわのいちべえ)
2000年人間国宝認定 1933.9.28~
父・八代目岩野市兵衛と伯父・岩野正男に支持して、伝統的な越前奉書の制作技法を学びました。
手打ちによる、入念な楮原料の処理、白土の添加、時間をかけた緩やかな抄紙、板干による自然乾燥など、技術の鍛錬に励みました。
1978年に9代目を襲名しました。
手打ちによる、入念な楮原料の処理、白土の添加、時間をかけた緩やかな抄紙、板干による自然乾燥など、技術の鍛錬に励みました。
1978年に9代目を襲名しました。
谷野剛惟(たにのたけのぶ)
2002年人間国宝認定 1935.3.26~
兵庫県西宮市名塩生まれ。
父・谷野徳太郎より、名塩雁皮紙(なじおがんぴし)の伝統的な制作方法を学びました。
襖紙(ふすまがみ)や壁紙、とりわけ書画用紙に使われる生漉間似合紙(きずきまにあいがみ)や、銀箔の圧延に使われる銀箔打紙(ぎんぱくうちがみ)を制作します。
用具の竹簀(たけす)も自ら制作します。
父・谷野徳太郎より、名塩雁皮紙(なじおがんぴし)の伝統的な制作方法を学びました。
襖紙(ふすまがみ)や壁紙、とりわけ書画用紙に使われる生漉間似合紙(きずきまにあいがみ)や、銀箔の圧延に使われる銀箔打紙(ぎんぱくうちがみ)を制作します。
用具の竹簀(たけす)も自ら制作します。
参照:週刊人間国宝63