一枚の和紙が、どのような時間と物語を経てあなたの手元に届くのか、想像したことはありますか?
デジタルが主流の現代において、私たちはなぜ「紙」に惹かれるのでしょう。それはきっと、紙、とりわけ手漉きの和紙が、単なる「モノ」ではなく、作り手の息づかいや、その土地の自然の生命力を宿しているからではないでしょうか。
私たち出雲民藝紙が工房を構える島根の地は、神話が息づく自然豊かな土地です。この地で和紙づくりを続ける私たちが何よりも大切にしているのは、和紙の原料となる自然の恵み、そのものの個性を最大限に引き出すこと。「雁皮は雁皮らしく、三椏は三椏らしく、楮は楮らしく」──。この想いは、私たちの紙づくりの原点であり、すべてです。
それぞれの植物が持つ繊維の長さ、強さ、光沢。それらを損なうことなく、むしろその魅力を最大限に引き出すために、私たちは繊維を極力傷つけない丁寧な手仕事にこだわります。一枚一枚、冷たい水に手を浸し、全身を使って紙を漉く。それは、自然との対話にも似た、静かで尊い時間です。
この記事では、出雲民藝紙の礎となる3つの神秘的な原料と、その奥深い魅力、そしてそれらが一枚の和紙になるまでの物語を詳しくご紹介します。この旅路の先に、あなたの表現したいこと、伝えたい想いに寄り添う、運命の一枚がきっと見つかるはずです。
和紙の原料①【雁皮】一千年を生きる、絹色の輝き。「和紙の王」が伝える悠久の時

古来より「和紙の王」と称えられ、あらゆる和紙原料のなかで最高級品として位置づけられる、雁皮(がんぴ)。その紙は、まるで絹のように滑らかで、内側から発光するような気品あふれる光沢を放ちます。一度手にすれば、誰もがその美しさと、時を超越した存在感に息をのむことでしょう。
神秘のベールに包まれた「幻の木」
雁皮はジンチョウゲ科に属する落葉低木ですが、その生態は多くの謎に包まれています。極めて繊細な性質のため、人の手による栽培は現在でもほぼ不可能とされ、私たちは島根半島の険しい山野に分け入り、自生するものだけを採取しています。成長には20年という長い歳月を要し、しかも採取できるのは、木の活動が最も活発になる6月頃の短い期間だけ。まさに、自然から許された者だけが手にできる、貴重な恵みなのです。
三十年の熟成がもたらす、究極の紙質
出雲民藝紙の工房では、採取した雁皮をすぐに使うことはありません。乾燥させた後、最低でも数年、長いものでは30年以上もの間、静かに寝かせ、熟成の時を待ちます。この長い眠りの間に、繊維に含まれる不純物(アク)が抜け、繊維そのものがより強く、しなやかになっていくのです。悠久の時を経て目覚めた雁皮の繊維は、驚くほど細く、長く、そして強靭。この極上の繊維から漉き上げられた紙は、墨や絵の具を吸込んでも決して滲むことなく、書き手の鋭い感性や緻密な筆遣いを、ありのままに受け止めてくれます。
人間国宝・安部榮四郎が蘇らせた古代の技
雁皮紙は、奈良時代から「斐紙(ひし)」と呼ばれ、その美しさと強さから、写経や公文書など、永久保存を目的とする重要な書物に用いられてきました。しかし、その製造には大変な手間がかかるため、時代とともに生産量は激減。この失われかけていた古代の製法を、生涯をかけて研究し、見事に再現したのが、出雲民藝紙の創始者であり、人間国宝に認定された故・安部榮四郎です。彼が蘇らせた雁皮紙は、変色や虫害に驚くほど強く、千年の時を超えてもなお、その輝きを失わないと実証されています。あなたの想いや作品を、遥か未来へと伝えるタイムカプセルのような存在、それが雁皮紙なのです。
おすすめの用途
後世に残したい書、重要な契約書、魚拓、拓本、写経、版画、書画の表具など、あなたの人生における「特別な一枚」としてお使いください。
和紙の原料②【三椏】知性と気品を宿す、優美な光沢

春先、他の木々がまだ冬の眠りにある頃、山里にいち早く春の訪れを告げるように、可愛らしい黄色の花を咲かせる三椏(みつまた)。その名の通り、枝が必ず三つに分岐して成長するというユニークな生態を持つ、雁皮と同じジンチョウゲ科の低木です。三椏から作られる和紙は、象牙のような優しく上品な色合いと、きめ細やかで美しい光沢が特徴です。
紙幣にも選ばれた、緻密な繊維の実力
三椏が和紙の原料として使われ始めたのは、比較的歴史が浅く、江戸時代からと言われています。しかし、その優れた品質は瞬く間に認められ、明治時代には日本の紙幣の原料として採用されるまでになりました。これは、三椏の繊維が非常に緻密で、印刷の精細な線を忠実に再現できること、そして偽造防止に欠かせない「すかし」を入れやすい性質を持っているからです。国のお墨付きを得た品質は、あなたの創作活動においても、その真価を遺憾なく発揮してくれるでしょう。
ペンが喜ぶ、滑るような書き心地
三椏紙の最大の魅力の一つが、その滑らかな表面です。インクの滲みが極めて少なく、万年筆やガラスペンで文字を書くと、ペン先が紙の上を滑るような、心地よい筆記感を味わうことができます。手紙や日記など、自分の想いを綴る時間を、より豊かで特別なものにしてくれるはずです。また、手にしたときの、しっとりと肌に吸い付くような独特の質感も、三椏紙ならでは。五感で愉しむことができる和紙と言えるでしょう。
おすすめの用途
ペン習字、万年筆での筆記、手紙、石版画(リトグラフ)、書籍の印刷、ちぎり絵、切り絵など、繊細な表現や緻密な作業に最適です。
和紙の原料③【楮】日本の暮らしに寄り添う、素朴な温もり

「和紙」と聞いて、多くの人が心に思い浮かべるのは、きっとこの楮(こうぞ)から作られた紙ではないでしょうか。太陽の光をたっぷりと浴びたような、生成り色の素朴な風合い。そして、どこか懐かしさを感じる、温もりある手触り。楮紙は、日本の風土と文化の中で育まれてきた、「和紙らしい和紙」の代表格です。
和紙の原点、強さと優しさの秘密
楮はクワ科に属する植物で、驚くべき生命力を持ち、わずか1年で3メートル近くも成長します。その繊維は、紙の原料の中で最も長く、そして強靭。繊維同士が複雑に、しかし優しく絡み合う性質が非常に強いため、薄く漉いても破れにくく、揉んだり加工したりしてもへこたれない、しなやかで丈夫な紙が生まれます。古くから日本の家屋で使われてきた障子紙や襖紙を思い浮かべてみてください。光を柔らかく通し、湿度を調整し、そして長年の使用に耐える。その機能性と美しさを両立させているのが、まさに楮の繊維の力なのです。
暮らしを彩る、万能なパートナー
全国で生産される和紙のほとんどが、この楮を原料としています。その理由は、強靭さゆえの加工のしやすさと、用途の広さにあります。書道や木版画のような伝統的な芸術分野はもちろん、近年ではランプシェードや壁紙などのインテリア素材、ラッピングペーパー、和紙のアクセサリーなど、その活躍の場は無限に広がっています。素朴な風合いはどんな空間にも自然に溶け込み、日々の暮らしに安らぎと彩りを添えてくれます。ただし、天然素材ゆえに虫に侵されやすいという弱点がありましたが、現在はこれを防ぐための特殊な加工を施しており、安心して長くお使いいただけます。
おすすめの用途
毛筆を使った書道、墨絵、木版画、拓本、大きな作品の制作、壁紙、襖紙、ラッピング、その他さまざまな和紙加工品など、暮らしを彩るあらゆる場面で。
あなたにぴったりの一枚は?用途で選ぶ和紙ガイド
それぞれの原料が持つ、豊かな個性。どれを選べばいいか迷ってしまった方のために、目的別の選び方ガイドをご用意しました。
【大切な想いを、永遠に残したいあなたへ】 → 雁皮紙
- キーワード:永久保存、高級感、光沢、滲まない
- 具体例:結婚式の芳名帳、子どもの成長記録、自身の代表作
【繊細な表現を、心ゆくまで楽しみたいあなたへ】 → 三椏紙
- キーワード:滑らか、緻密、ペン書き、上品
- 具体例:万年筆で綴る日記、ボタニカルアート、カリグラフィー
【日々の暮らしに、和紙の温もりを取り入れたいあなたへ】 → 楮紙
- キーワード:丈夫、素朴、風合い、万能
- 具体例:オリジナルのブックカバー作り、季節のテーブルコーディネート、手作りのポチ袋
もちろん、これはほんの一例です。既成概念にとらわれず、あなたの自由な発想で、和紙との対話を楽しんでみてください。思いがけない化学反応が起こり、新しい表現の扉が開かれるかもしれません。
あなたの日常に、本物の和紙を。出雲民藝紙からのメッセージ
出雲民藝紙では、ご紹介した3種類の原料を混ぜ合わせることなく、それぞれを単独で使い、その持ち味を最大限に引き出す紙づくりを、愚直なまでに守り続けています。
悠久の歴史をその身に刻む、孤高の「雁皮」。
知性と気品を静かに物語る、優美な「三椏」。
日々の暮らしに大らかに寄り添う、温かな「楮」。
一枚の和紙を手に取るとき、どうかその背景にある、雄大な自然の営みと、職人たちのひたむきな手仕事に、少しだけ想いを馳せてみてください。そうすれば、その一枚はあなたにとって、単なる紙ではなく、かけがえのないパートナーとなるはずです。
さあ、あなたの表現したいこと、伝えたい想いにふさわしい和紙はどれでしょう。ぜひ、私たちのオンラインショップで、その豊かな表情と確かな手触りを、あなたの五感で感じてみてください。
